「甘え」ではないことの、疫学的な説明
「朝起きられないのは甘えだ」と言われたことがある人は、たぶんこの文章にたどり着くまでに、もう何度も言われている。親に、上司に、あるいは自分自身に。
当協会は、その言葉に反論しません。反論すると、議論が「甘えか、甘えでないか」という個人の性根の話になるからです。そこは、そもそも論点ではありません。
分布の話から始める
朝型・夜型の傾向は、クロノタイプと呼ばれます。何時に眠くなり、何時に自然に目が覚めるか。この傾向には個人差があり、しかもその差は連続的に分布していることが、22万人規模の調査などで繰り返し報告されています(Roenneberg T, et al. Biology. 2019;8(3):54)。
大事なのは、この分布に境界がないことです。「朝型の人」と「夜型の人」という2つの集団があるのではなく、極端な朝型から極端な夜型まで、なだらかな山がひとつあるだけ。多くの人は真ん中あたりにいて、両端に向かうほど人数が減っていく。
そして、この山のかたちを決める要因のうち、かなりの部分は本人が選んでいません。遺伝的な背景、年齢、光を浴びる時間帯。10代後半から20代前半にかけて分布全体が夜型側へ寄り、その後ゆっくり朝型側へ戻っていくことも知られています。中学生が朝に弱いのは、中学生の性根の問題ではありません。
ここで「甘え」という言葉を置いてみる
分布のどのあたりに立つかが、大部分は選べない。にもかかわらず、社会は分布の一点(およそ9時)に始業時刻という線を引いている。
線の左側に立っている人は、何もしなくても「勤勉」に見えます。右側に立っている人は、同じだけ努力しても「だらしない」に見えます。この差を生んでいるのは本人の性質ではなく、線がどこに引かれたかです。
「甘え」という言葉は、この線の存在を見えなくします。線を疑うかわりに、線からはみ出した人を疑わせる。使っている人に悪気があるわけではありませんが、この言葉が置かれているかぎり、設計は誰にも見直されません。
ハイリスクとポピュレーション
公衆衛生の分野には、集団の問題に対する2つの介入のしかたがある、という古典的な整理があります。
ひとつはハイリスク・アプローチ。リスクの高い個人を見つけ出し、その人に働きかける。もうひとつはポピュレーション・アプローチ。集団全体が置かれている条件のほうを動かし、分布ごとずらす。
寝坊をめぐる従来の対策は、ほぼ全部が前者です。目覚まし時計を増やす。早寝を指導する。意志を鍛える。起きられない個人を特定して、矯正します。
当協会は、後者だけをやります。始業時刻。遅刻の人事評価上の扱い。朝礼の有無。「朝型=勤勉」という道徳。動かすのはそちら側です。
外れ値をなくす方法は、2つある
ひとつは、外れ値を治療すること。もうひとつは、外れ値が外れ値でなくなるように、前提のほうを動かすこと。
たとえば始業時刻を9時から10時へずらすと、それだけで「遅刻常習者」という集団の一部が消えます。誰も治っていません。誰も早起きしていません。分布は1ミリも動いていません。動いたのは線だけです。
これは、その人たちが最初から問題ではなかったことの、証明でもあります。
当協会が参加者に求めないこと
- 早起きの練習
- 生活改善の報告
- 医師の診断
- 反省
求めるものはありません。参加に必要なのは、連絡先だけです。
「甘え」と言われてきた時間の長さに対して、あまりに何も起こらない参加だと思います。それでいいと考えています。あなたの側は、直さないまま話を進めます。
当協会は医療機関ではありません。本稿は睡眠に関する診断・治療についての助言ではなく、社会制度と設計についての主張です。 睡眠に関する困りごとが日常生活に支障をきたしている場合は、専門の医療機関にご相談ください。 当協会は参加者に診断を求めず、医療上の判断も行いません。